あゆどん(編集)
ぐみちゃん語録 その1
ご飯を食べている時のこと、Aちゃんがお汁を食べている時に、袖口が濡れてしまったときのひとこと
「あーしみてきた~」 思わず、こんな言葉を知っているんだ―と思った一瞬!!
ぐみちゃん語録 その2
雪遊びの後、濡れたウェア―を見たBくんのひとこと
「あー、びちゃびちゃやわ~」 コテコテの金沢弁だ~
噂の床屋さん・・・
登園してきたCくんが髪を切ってきていたので、髪切ったの~?お店で切ったの?と先生が聞いていると、
「あの~ニトリのとこなんだよね~ニトリの後ろのここからこう行ってここのとこ」と身振り手振りをつけて説明してくれていたら、横にいたDくんが「あー!あそこね、マンションのとこの」と話に加わり、まるでそのお店を知っているみたい。
そこにまた登園してきたEくんが「あそこかぁ」と相槌。あまりにスムーズな会話の展開に驚いたのと、
え?!有名なお店なのかな??・・・と先生は困惑しました…。
練習です・・・
節分が近くなり、どんぐりを豆に見立ててまめまきの練習中のときのこと。
叫びながらどんぐりを投げていて、よく聞くと「おにはーそと!うちわーうち!」とFくん。
それを聞いたそばにいた、GちゃんHちゃんらが「ふくはーうち!やよ!」というと、
「ああ、そうか!」と返事しつつ、また「おにはーそと!うちはーうち!」と撒き始めてました(笑)。 ・・・・木の花あるある その10 節分
カレーとごはん
自由遊び時間のこと。雪が降って、幼稚園のお庭は雪でいっぱい!
お庭では土を掘りその中に溶けた雪を入れておたまで混ぜ、カレーのルーを作っていたIちゃん。
その様子を見ていたJちゃんが、「あ!ご飯これや!」と雪をご飯に見立て、たまたま落ちていたしゃもじで雪をお皿に盛ると、
雪一面のお庭を見渡しながら「ご飯い〜っぱいあるし、いっぱいカレーつくろ?」とキラキラ笑顔で答えたIちゃん。
ナイス!な仲間を見つけた瞬間!でした。
かきくけこ
年中さんが畑の🥦ブロッコリーを収穫し、株をお庭に持って帰ってきたので、
「そのカブ捨てるなら、はっしーにちょうだい」「はっしー🥦ブロッコリーのカブ大好きなんだ」と話していると‥‥。
Kくんは「え?くけこ?」「くけこって何??」と聞いていました。
「カブ(株)、カブ」と言っていたのが、『かき?』とでも聞こえたのか?
『かき』の次は『くけこ』でしょうと、言葉遊びをしているようにも見えました(笑)。
置き場所・・・
片付けの時間のこと。ホールにジョイントマットの小さいものが入った袋が置いてありました。片付けようと思ったのですが、片付けの場所が分からず…Lちゃんに聞くと「分からん」とのこと。じゃあ他に分かる人…と思って近くにいたMちゃんに聞くと、「そこの場所知ってるよー」とついて行くと、絵本コーナーの棚の中に入れていました!!
大人というか、えりりんより木の花のモノの置き場をよく知っている子どもたち。本当に助かりました~笑
木の花あるある その10 節分・・・内面を律する「怖さ」と向き合う
季節の暦に合わせた年中行事は昔からやっている木の花ですが、節分の装いは昔と今ではずいぶん様変わりしたようです。
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昭和の頃までは節分と言えば、裃つけて豆をまく代表の子どもがいてその豆を拾う子どもたち…という穏やかな色彩だった模様です(神社での豆まき儀式を踏襲していたようです)。
そこに前園長の時代にもっと子どもの想像力をかきたてたい、と「鬼」の痕跡(足跡)とか「手紙」とが届くような仕掛けを職員たちが始めたことから様相が変わってきました。単に楽しい儀式だったものから、何か得体のしれない「鬼」なるものが「俺らを見ている…」というちょっと怖くもあり、ドキドキするような節分へ。そこへ「鬼」そのものとして登場したのはどうやら男性保育者としてきたあゆどん。「やりたい」と申し出たか?新米なので「やってみたら?」と促されたのか?記憶は定かではありませんが、男性保育者の存在を使わない手はない…とは当時の園長先生の魂胆もあったであろうと推察しています(ちなみに木の花デビューはクリスマス会での「サンタ」役でした)。いわゆる保育の世界の節分たるを知らぬよそのモノの強みか?思い切り怖い鬼の装束を自作して登場、ずいぶん子どもたちを泣かせてきました。節分なので当然最後は豆を投げつけられて退散するのですが、逃げる、隠れる、隙あらば立ち向かう、普段大人しい子が友だちを助けたり、友だちといるから安心できる子etc様々な姿がリアルに見えるのがこの「鬼」役の醍醐味です。
如何に正体を気づかれずに…という点が最大のポイント。当日は先ず背広に着替えて、「今からお勉強(研修)に行ってきます…」とあえて子どもらの目に触れるようにして玄関から出るや裏通りから塀を乗り越えて、会議室の窓から資料室に入って変装。その後、会議室窓から再度外に出て、いよいよ本番。庭からホールに入って、ひと暴れしてから退散。再び庭から外に出て、塀を乗り越えて会議室窓から資料室に戻って、汗を拭きとり下着を新調し背広に再度着替えて、会議室窓からもう一度外に出て、何食わぬ顔で園の玄関から戻ってくる・・・。そして、どうしたの? えっ? 鬼が来たって? みんな大丈夫? あ~よかったねえ。みんながんばったんだねえ・・・とまるで真犯人が被害者に寄り添うような安物のサスペンスドラマのような筋立てですが、園への出入りの際に通りで変装姿を通行人に見られて、ぎょっ!とされても、陽気に挨拶する鉄面皮も必要です・・・(笑)。
涙ぐましい努力の甲斐もありほぼ気づかれずに数年を経て来ましたが、観察力の優れた勘のいい子が年長さんに出てきます。「おかしい、節分になるとあゆどんはいつも勉強に行っている・・・」と怪しみ始め、すかさずよっしーが代役を果たしてくれました。その後はちゅうりん、さらに女性職員も「鬼」をやりたい、と言ってくれて(多分・‥笑)、鬼も複数になりました。ちなみに男性だから・・・なんてまるで関係なし。過去、今の古株(失礼!)の女性職員たちが鬼を演じた時の「怖さ」は半端なく、「無言」で椅子は蹴っ飛ばす、持参してきた金棒で園長をぼこぼこにする、なんて当たり前の迫真さ。「何、悪いことしとったん?」と子どもに同情されるほど…(笑)。
また一度卒園生の小学生が鬼役で参戦したことも・・・。鬼の親子が来た!と子ども達に騒がれ在園に彼の下の弟がいましたが、見破られずに見事鬼役を完遂。その後、おやじの会にお手伝いしてもらい、鬼役を買って出るおやじたちが毎年いて、これもまた家族にも気づかれずにお面を作り、衣装を用意し、普通に会社に行く格好で家を出て…という徹底ぶりにも感服した歴代の鬼たちの奮闘ぶりはもう職員の間でも語り草です…(笑)。
こうしたエネルギー量はサンタとはベクトルは違うものの、子どもたちの想像世界の担い手としては同じ役回りではなかろうか?と思うのです。サンタや鬼なんていない・・・と割り切ってしまう分別のついた年齢をいずれは誰もが迎えますが、サンタや鬼っているはず・・・と信じている側のその「想像世界」をかきたて、そこを守ろうとする立場(役回り)に今度は大人として担ってゆく・・・。前述の小学生もそんな役回りを嬉々として演じてくれました。
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「鬼が来るかもしれない・・・」という臨場感、ドキドキ感を楽しみ、鬼退治の作戦を考えたり、想像力を駆使して道具を考えたり、また当日の緊張感を自分で調整し、「怖いもの」に対処する意志や行動、子ども同士の連帯感、さらには便利さに驕ることなく自らを戒め、謙虚であらんとする自律的な心情も培える場になれば、と私たちは願っています。「怖いものが日ごろのぼくたちの行いを見張っている」、という「ナマハゲ」(能登では「アマメハギ」)など子どもの健やかな成長を願う日本古来の規範意識に繋がる行事として、今年も狐とタヌキの化かし合いのような物語を大人たちが真剣に練っています。
さて今年は如何・・・?
あゆどん(記)
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