「やってみなくちゃわからない・・・」木の花の運動会が、10月4日に開催。お天気が少し気がかりでしたが、お家の方々の温かい声援と積極的な参加、協力に支えられて、無事終了しました。河原という空間の中で、多彩なモノを使い、躍動した子どもたち、お家の方々に拍手喝采、感謝いっぱいです。
空間を遊ぶ・・・
開放感溢れる広い緑地での運動会は今年で4年目。河原という野外の感覚に子どもたちもスタッフたちも慣れてきた感があります。演技、遊戯、競技の広さとお客さんとの距離感のバランス、フィールドの範囲もそうですが(今年はよっしーがメジャーで測る徹底さもありました)、広さの感覚や芝生の感触、風の流れ、川の流れなども体感的に感じながら子どもたちは動く、ということを改めて実感したところです。
例えば、まつくりの竹の演技。
通常の練習場所(犀川神社前)とは対岸になりますが、大人だと逆、と思うのですが、川を背にする感覚が子ども感覚。本番も隊形を移動する子どもたちの共有感覚になっていました。
あるいはさくあんずの袋パフォーマン
ス。風の方向性で膨らむ袋をロケット?人工衛星に見立てて楽しむと同時に「ブラックホール」(黒い袋)に投げ込む(吸い込まれる)「隕石」(ボール)も「ビックバン!」の寸前で一瞬の風で拭き戻される・・・という試練も野外ならではですが、それにめげないしぶとさ。
はたまたうめももの親子競技の「地引網」。芝の摩擦係数にめげずに掴み続けるのが年少の子らには厳しくも、だからこその楽しみ(ホールでは楽ちんなので、当日もブルーシートを置いてその上を引っ張る方が大人も子どもも全然楽なのですが…。なおプチちゃんは掴んだまま難しい発達課題。なので「包み込んで」の運搬となりました)。野外の空間が引き出す妙味です。(屋内体育館では味わえない学びです。)
モノを使いこなす・・・
そんな空間に絡めたモノに、一つそれぞれの学年のテーマが隠されています。
まつくりさんは一学期の父レクでの竹を使った筏作りの活動以降(厳密にはその前のアスレバルでの海賊での競技…実行委員のゆっぴー発案の小綱引き…が発端でしたが)、お泊り保育でも竹を使い(流しそうめんや寝床のベット)、夏の遠足で犀川筏下りを楽しみ、しつこく竹を遊び素材として使いこなす中での「竹の運動会」となりました。この竹(しかも太い長い)を演技として使う中で、子どもたちからはこれまでの体験をベースに自然に「海賊物語」になったようです。連日のように犀川河川敷まで運んでこれを持って遊びまわったこと。空間の広さがあってこそですが、周りの子に当てずに距離感を取りながら使いこなすのはなかなかの力技が必要です。
そして竹の持つ音の響きとラクビ―ワールドカップの影響もあり、生まれたまつくり応援団。運動会では初めての取り組みでしたが、ミニ竹はチアガールの小道具としても活用し、まつくり親子競技(これも初めてのこと。これまで年長競技は子ども版、大人版でした)での竹をどう乗りこなすか?を大人の手を借りての工夫のしどころもその子その子の乗り方の工夫が出ておりました(持ってくれた父母たちの協力風景も見事でした)。
さくらあんずさんはビニール袋各種。大量に頂いたビニール袋で遊んでみたら…というきっかけですが、日常的にモノを組み合わせたり、実験遊びが好きな彼らは形状が自在に変わる、というモノとしての素材の面白さに加え、宇宙が大好きな子がいたりして、宇宙への世界(イメージ)がさらにその袋によってクラス全体に広がっていったようです。リレーではビニール袋で模した「人工衛星はやぶさ」?を手に「惑星」間を好きなだけ走れる・・・というこれまでのリレー=競争という概念を超えた、広い空間を走ることそのものを楽しんでいる姿を大事にしたい、という担任の想いもあり、F1の4時間耐久レースではありませんが、1曲のうちのどれだけ「宇宙空間」を飛び回れるか?を楽しむ「リレー」となったのも初めての試みでした。
そしてうめももさんのブルーシート。木の花では日常的に身近な存在です。お弁当のシートにも使い、水遊びのミニプールにも使い、日よけとして使い、時には絵具、ペンキの下敷きとして・・・。そんなブルーシートをパラバルーン的な使い方としてうめももさんで使ってみたら、結構面白かったようで、頂きものが多かったブルーシートを(おやじの会の寄贈とか)、新規に購入したい・・という担任の申し出に難色を示していた園長ですが(笑)、とことん使いますから・・・という申し出で許可したところ、青さから海へのイメージもあったようで、イルカやペンギンなど海の生き物としてのお遊戯、海の世界の親子競技へと、とことんブルーシートを使いこなすことになりました。(これから木の花祭りでも使うかな…笑)
空間にモノをコラボすることで子どもたちのイメージ世界が拡がり、運動する表現も拡がり、多様な運動形態を盛り込む遊戯、演技、競技を担任達と子ども達で創り上げてきました。(年長さんの場合、各競技のMCの役割もあり、さらに各プログラムで活用するモノの製作も加わり、大忙しでした。ちっちゃい子のプログラムで使った猫バス?犬バス?の段ボールそりも当日午後からはちっちゃい子の土手滑りでも活用…笑)
モノとしては実は音楽の選曲も担任達の目に見えない苦労のしどころです。子どもたちの動きやイメージの即した音楽の選曲と時間調整(音の区切り)が悩ましいところで、これまでレンタル屋さんでCDを借りて音楽をセレクトしてきたところをICTサポーターさんの力を借りてアプリから取り込む方式へと切り替えました。その音楽を身体で感じるのは当事者だけでなく、周りで見ている異学年の子どもたちも然り。ぐみちゃんたちも身体でリズムを取っていたり、真似て動いたり・・・というのを日常の中でも見られます。ワンパターンではない、子どもの内から湧き出るリズムを引き出す、そんな音楽の選曲も先生たちの頑張りどころなのです。
ひとを感じ、ひとがいてこそ・・・
そんな世界も子どもたちが純粋にそれだけを満喫することも楽しいことです。しかし同時に人がしている姿に触発され、やってみたくなる、あるいは人に見られることでより自分らしさを出す・・・という姿も運動会ならではの風物詩(運動会だけではありませんが、結構顕著にみられるのが運動会の取り組みです)。まつくりさんの側転なんかもそうかもしれ
ません。勝手にやり始めると、他の子もやろうと刺激されたり、河原での練習では隙間時間に積み木に置いた竹のハードルを側転で回って超える・・・なんてことをやり合っていましたし、リレーでお客さんの声援を背に受けて走るスピードの心地よさもそうです(無人の練習の時より1.2倍速って感じです)。
特にまつくりさんの場合、みんなが一緒にやってくれるオープニング竹たいそう、真剣勝負で挑む祖父母競技や大人VS子どもの競技、学年親対抗、他の園の子どもたちも混ざってする全園児競技などもそのプログラムを考案したまつくりの子どもたちには嬉しいことです。大人なら祖父母なら、ちっちゃい子なら・・・とひとの具体を想像して考え、試行する計画段階の面白さとそれをやってみて、参加者が真剣に取り組んでいる姿を実際に間近に目にすることで得られる達成感は得難いものがあります。
そんな年長さんの姿(当日のみならず取り組み過程含め)は下の学年にとっての大いなる憧れの存在として見えるのが運動会です。運動会なので、もちろんひとと競う要素もあり、子どもたちの中でもモチベーションの一つに「勝ち」「負け」他者との競争はありますが、そこはねらいではありません(特に木の花では)。自然の中で行う偶然性も左右される中、勝敗は二の次。それよりも願っているのは自分自身の持てる力を最大限に出しきる、自分でこれまでの自分を超えていく、そんな達成感、協同することの楽しさに浸ってほしい、と私たちは願っています。
一人一人に、そしてクラスとしてそうした姿が垣間見れたことが何よりもうれしく、やっ
てよかった、と思う「非日常」の「お祭り」の醍醐味でもあり、その大きな節目をお家の方々の力を借りて超えることが出来たことが私たちの喜びです。お客さんに見られることで引き出される力、そこで魅せる姿を引き出してくれる温かな眼差しと声援に、そして本当に馬鹿馬鹿しいほど真剣に体をフル活動して参加してくれたお家の方たちに改めて感謝、感謝です。
最後に各学年で用意して頂いたタープ類の設置での助け合ってのご協力や撤収時のお片付け、そして広いスペースに競技、演技に必要な多種多様なモノの配置に手際よく、出し入れ頂いた保護者会の役員の皆さんにはいつもながら頭が下がります(この日一番の運動量だったかもしれません。小学生のお手伝いも大いに力になりました)。
それぞれのアフターを楽しみつつ・・・
各種の作りモノ、道具類など運動会で使ったモノを運動会の撤収後、ホールに並べて置き、これらを使った運動会アフターの遊びが今日登園した子たちから続々展開です。真似たり違うモノを組み合わせたり、しばらくはアフター運動会を楽しみつつ子どもたちの遊びっぷりをそれぞれの学年で捉え、運動会で培ってきた学びを整理して、次へのお祭り、「食と創造の祭典」、木の花祭りへと徐々にシフトチェンジしていきます。身体のお祭りから、秋という季節の恵みを生かした味覚(食)、そして造形、創作、芸術の秋を体感しつつ、本物のお金を扱う「商品」作り、身近なモノを如何に売り物にできるか?という「生産活動」に繋がる育む取り組みです。各学年、運動会を潜って(体感して)、運動会アフターからお店屋さんにどうつなげていくのか?楽しみですね。
あゆどん(記)
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